三四郎 (1908) 夏目漱石

 

三四郎 (新潮文庫)

三四郎 (新潮文庫)

 

 

カラマーゾフを読んだ後からか、この小説の進行が小気味が良い。無駄な装飾がない。心理描写があっさりしてる。主人公の三四郎に至っては自分の拘りとか、主義主張を漏らさず、まったくもって純朴だ。だからこそ、逆にそんな主人公に、自己の青春を重ね共鳴する。

読んでて思い出したのは、東京ラブストーリー。カンチが三四郎で、リカが美禰子といった感じだ。美禰子は東京の女性の象徴であり、前衛的で、独立した個人。彼女は無意識の偽善者として出てくる訳だが、純朴な三四郎を惑わせる。とは言っても、現代で言えば、大人しくて分別があって、おしとやかな女性なのだが、当時の文脈で言うと、そのころの読者には美禰子は全く正体が掴みづらい、魔性の女として映ったのではないだろうか。

夏目漱石は言文一致を確立した文豪と言うことで、当時はセンセーショナルな小説だったと思う。今読んでも普遍性を感じる文体で読んでいて心地よい。

それでも心理描写はとってもあっさりしている。例えば、美禰子について考える三四郎の描写は「美禰子も顔や手や、襟や、帯や、着物やらを、想像に任せて、乗けたり除ったりしていた」と言う調子だ。この描写、ドストエフスキーなら20ページくらいは割いて、女性に心を奪われ、妄想に囚われる男性を描けることだろう。ましてや、掛け算、割り算の表現を使って、機械的に考えるみたいで、面白い。

さらにプロットもとてもシンプルで、驚くような展開がない。それでもスラスラと先を所望して読めるのは、あっさりした塩ラーメンのような、くどくなくそれでいて旨味が凝縮される人々の描写が秀逸だからなのだろう。